旅立ち

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バレエの発表会が終わり、やれやれ、と思っていた土曜日の夕方、
実家の母から連絡があり、

『おばあちゃん、月曜日から咳をしだしてね。
その日ちょうど訪問看護の方がいらしたから、お薬を出してもらえるように
頼んだの。それで、お薬を飲んだら、咳は止まったのだけど、
あんなにご飯を食べていたおばあちゃんが、おかゆもいらない言って。
リンゴのすりおろしと、お茶だけは、おいしい、と言ってくれるんだけど。』

だから、今日も心配で、昼間、はなさんに来てもらっていたの。
煮物とか、たくさん作ってきてくれたけど、やっぱり、ちょこっとしか食べなかったみたい。』


パートで働いている母は、具合の悪くなった祖母を一人にしておくのが心配で、
今日は、おばちゃんに来てもらったと言った。

母がパートに出ている間、祖母は、1人で起きて自分でご飯を食べて、
また横になることができるので、
今までは介護しながらも働けるから助かるといっていたけれど、
今日みたいなことは初めてだったので、
なんだか、居ても立っても居られない気持ちになった。


そして、今月の3連休に予定していた、夫の実家である東京へ行くことを
やめて、長野へ行きたい。と、夫に提案した。

いや。待てよ。そうはいっても、3連休までは、日がありすぎる。
できれば、もっと、はやいほうがいい。
私は、明日の朝1の電車で、長野へ向かうことにした。


あさっては月曜日。問題はこどものこと。
『パパ、明日、少し遅刻できないかな。』と、言うと、
夫は、少し考えたあと、なんとかする。と言ってくれた。
こどもが学校へ行くのを見届けてもらい、その日の夕方、早めに帰宅してもらえれば、
実家へ一泊することができる。
私は、すぐに、新幹線の切符をネットで手配した。

えきねっと。本当に便利。乗車できる電車は少し限られるけれど、
仙台~東京間の料金が最大で30パーセント引きになる。


翌朝、8時の新幹線に乗るために、家を出た私は、
実家へなんども電話するが、話し中でつながらない。

夫の携帯にかけ、母から電話がなかったか確認するが、それもない。

次につながったときは、動転した母の
『朝、起きたら、おばあちゃんが、冷たくなっていたの!』
という、叫ぶような声だった。


朝起きて、いつものように、『おはよう。おばあちゃん。』
と、声をかけたが、返事がなかったらしい。
ゆうべも、8時半に『おやすみ、おばあちゃん。』と声をかけた母。
『おお。疲れているだろうから、お前も早くおやすみ。』
これが、祖母の最後の言葉だった。


新幹線の中で、間に合わなかった悔しさと、風邪をひいていたことを
なぜ、もっと早く教えてくれなかったのかという、母へのいら立ちが込みあげてきて
涙が止まらなくなった。

救急隊を呼んだが、そのまま病院へは搬送されなかったらしい。
もし、私がその場にいたら、きっと、こんな状態でも病院へ運びこみ、
一秒でも生きていてほしいというおもいで、延命を望んだかもしれない。


たくさんの人の最後を看取ってきたはずなのに、身内のこととなると、
感情のコントロールがつかなくなる。


私は、新宿からあずさに乗り換え、実家へ向かった。
駅までは、弟が迎えに来てくれていた。

おばあちゃんの冷たくなった亡骸を見て、しばらく泣いた。
葬儀やさんが持ってきた、ドライアイスをおばあちゃんのからだからはずし、
お母さんにお風呂のお湯をためてもらった。


病院で人がなくなる場合は、死後の処置はナースがすべておこなう。
ご遺体に手をあわせ、全身をきれいに清拭し、筋肉が弛緩したあと、
肛門から内容物がでないように、わたを詰める。
そして、浴衣を着せて親族へお返しする。

最後に働いていた、某病院のICU(集中治療室)では、たくさんのパレットで
その人にあった美しいメイクをほどこすための勉強会があり、
生前、その人が生きていたころのような化粧をすることで、たくさんの方が
あんなにつらかったはずなのに、最後には笑顔になってくださった。




最後、おばあちゃんに会ったのは、お盆に帰省したときだった。
まだまだ、元気で、次にまた会えるとおもっていた。
弟と、おばあちゃんをお風呂へ入れながら、また、泣いた。


もともと小柄な人だった祖母。またさらに小さくなったからだをきれいにしながら
最後は、着物へそでを通し、まるで寝ているような祖母の顔をみているうちに、
あんなに切なかった気持ちが少しづつ落ち着いていった。


実は、3日前に、久しぶりに夢まくらにおじいちゃんが立った。
まだ、昔のままの家の中で、おじいちゃんが大きな声で何か言っている。
まだ、60代くらいのおじいちゃん。

ああ、生きていたんだね。会えて良かった!
と思った瞬間、目が覚めた。

思えば、あれは、もうそろそろ、お迎えにいくからね。
という、挨拶だったのかもしれない。


紅葉の美しい信州の晩秋。
この時期にしては、信じられないくらい暖かい一日だった。

おばあちゃんは、畳の上で逝きたかったんだね。
私が間に合っていたら、入院させられてしまうから、それがいやだったんだね。
赤く染まった美しい八ヶ岳を見ながら、母が、

『今年いっぱいかもしれないなあ。でも、お雑煮が食べたいなあ。』と
祖母が言っていたことを話してくれた。


眠るように逝ってしまった祖母。
優しい祖父に愛されて、幸せな人生だったとおもう。
わたしも、あなたの孫でほんとうに良かった。

96歳。悔いなし。
旅立ちに立ち会えて良かった。
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by sprout_green | 2012-11-07 08:03