2013年 03月 11日 ( 1 )

震災から2年

おはようございます。




東日本大震災から、今日でちょうど2年がたちました。

犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、
今、できることを精一杯やっていくことが
生かされた者の使命だと、あらためて感じています。



仙台へ転勤になった2年目の3月、私は震災に遭いました。

住んでいる場所は、多賀城市。
海から3キロほどしか離れていないとは、このときまであまり知りませんでした。
通学路の良さと環境で選んだ物件でした。


14時くらいに、2年生だった娘は学校から帰ってきました。
おやつを食べながら、習い事へ送っていく準備をしていたとき、
大きな揺れを感じました。
こどもは、すぐさま、ダイニングテーブルの下へもぐり、
私は、転倒したらガラスが割れて大変なことになる食器棚を
手で押さえながら、立っているのがやっとでした。


なかなか、収まらない横揺れ。。。
今までの地震とは、明らかに違うと感じました。
少し収まったかとおもいきや、さらに大きな横揺れが家全体を襲いました。


オーブントースターや、まだ、片づけていなかったお雛様が床に落ち、
タンスの引出が飛び出すほどの揺れ。
テレビが落下しないで済んだのが奇跡でした。
冷蔵庫は、扉が開いた状態で3メートルほど移動していました。


あまりの揺れに、こどもが、『怖い~。おうちの中はいや。』と、
庭に飛び出し、追いかけるようにして外へ。
電線がゆらゆら揺れています。長く続く余震。

雪が舞うとてもとても寒い、金曜日の午後。


前に住んでいる方が窓から『すごい揺れだったね~。大丈夫?』と、
声をかけてくれ、お隣のHちゃんママも出てきました。
Hちゃんは、そのとき3年生。まだ、学校から帰ってきていないとのこと。
不安そうな表情のママ。
とにかく、学校へ迎えにいってくるね。と、別れ、しばらくクルマの中にいました。


でも、そのクルマの中のほうが揺れるんです。
長野の友人からの電話がつながったのを最後に、私の携帯(ドコモ)は、
まったくつながりません。

お隣のHちゃんとママが、無事に帰ってきたことを確認し、
家の中で過ごしていると、お隣のHちゃんママが、
『とりあえず、買い出しにいってきたよ。ローソク。ないでしょ?
それと、お菓子。』

少し並んだけれど、買えたよ。そういって貴重な物資を分けてくれました。

お友達から、小学校に避難していると連絡が入ったので、
私たちも、2人で移動することに。
娘は、お友達の顔を見てとてもほっとした様子でした。

だんなさんとは、夕方連絡が取れたものの、45号線が混んでいて
クルマが動かないと。
ラジオの情報だけど、荒浜のほうが大変なことになっている。。。と。
仙台方面からの渋滞にはまっているから、着くのは夜中になりそう、と。
とにかく、無事を祈るだけでした。


停電になったことで、まったく外からの情報が入ってこないのです。
自分で情報を得るためにも、ラジオはすぐに出せる場所へ置いていくべきと
このとき学びました。


避難先の小学校へ旦那さんが迎えに来てくれたのは、
夜の23時を過ぎていていました。
45号線での惨状を聞かされ、茫然。信じられない光景だったそうです。

『こっちにきちゃだめだ~。』と大声で教えてくれたおばあさん。
夫のクルマは、その手前で曲がるはずだったそうですが、
その先には、重なっている3台の車が見えたと。
一歩間違えば、夫もクルマもどうなっていたかわかりません。



しばらくは、寒く、暗く、不安な日々が続きました。
近くのコンビナートが火災になり、真っ黒な煙が延々と。。。
ゴムが焼き焦げるようなにおいがしばらく続きました。
呼吸器系が弱い方は、ほんとうにつらかったとおもいます。

暖をとる方法は、毛布だけ。灯油ストーブもなかったので
夕方6時には、布団へ入って寝ていました。

水と食料は会社からの支援物資。
お米もたくさんあったので、お友達へ分けることができ、
ほんとうに助かりました。



ガスだけは、プロパンだったので、翌日から使え、
料理できたのは幸いでした。
だんなさんも、行き帰りは所長のプリウス(車検中で代車。→燃費素晴らしい。)
にピックアップしてもらったおかげで、会社へ行くことができ、しかも早い帰宅。
『こんな時間にパパが家にいるなんて、震災は怖かったけど、嬉しい。』と。
娘にとって、パパと夕飯を一緒に食べれるなんてすごく幸せだったのでしょう。

私も同じ。
こうして、家族そろって、ローソクの火をともしながらでも
ご飯食べれることが、ほんとうになによりもありがたいと感じました。



5日目には、電気が復旧したので、だいぶ樂になりました。
今でも覚えています。ちょうど夕方6時に、ぱっと、電気がついたのです。
緊張が緩んだのか、今まで我慢していたのでしょう。
ほっとした娘が泣きだしてしまいました。




あれから2年。
震災を乗り越え、前向きに生活している方がたくさんいます。
忘れてしまっていることも多いけれど、もう一度防災について
考える時期なのかもしれません。
復興が進まない場所も多いと聞きます。
仮設住宅で暮らしている方も、まだまだたくさんいます。


今朝、石巻市長が、
『なにをするにも、国からの規制が多い。
緩和してもらえば、もう少し早く復興が進む』といっていました。

国、お役所、ほんとうにがんばってもらいたいです。




******



震災までの2年間は、専業主婦でした。

あの経験と、この場所で何かをしたい、被災地にいるのだから。。。
私にも何かできるはず。
そうおもい、バランスボールを始め、現在にいたります。


先週の金曜日に、ともこ助産院さんで、

きくちさかえさんと
齋藤まきこさんにお会いし
さらに士気が高まる時間を過ごさせて頂きました。
前半のセミナーしか受けられませんでしたが、

私が今、ここにいること、やりたいこと。がさらに明確に。


そして、いつもはだし(→知らなかった!)のともこさんとのご縁なくして、
今の私は存在しないというこことも。

『仙台には、来るべくしてきたんだよ~。』→私もそう感じています。

そんなとも子さんを取り巻くスタッフの方々も、多種多様の顔ぶれ。
いろんな可能性が詰まった助産院。
産むだけじゃない、何かを創りだす創造のスペースでもあります。


人は、居心地のいい場所があれば元気でいられるんだとおもう。

震災から2年。
思ったことを形にしていこう。できる。必ず。

ほっとできて、ちょっと樂になれてカラダもメンテナンス
できる、そんなクラスを創っていきたいと思います。
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by sprout_green | 2013-03-11 12:52